マークグラフ

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マークグラフは果汁・ジャム・フルーツソースの味を一層引き立てる

「幻の酒」で評判高いフルーツブランデーです。

香料等の添加物は一切使用しておりませんので、素材本来の

持ち味をより引き立てるのにお役立ていただけます。

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マークグラフ・キルシュワッサー

原料であるサクランボは、最高品質と言われるシュヴァルツヴァルト(黒い森)産100%。

高級な上品な味わいと香りが特徴です。

商品名マークグラフ・キルシュワッサー
容量700ml
100ml(ビン)
アルコール度数45%
原産国ドイツ

マークグラフ・ヒンベアーブランデー

原料である木イチゴ(フランボワーズ)は、最高品質と言われるシュヴァルツヴァルト産の野生の木イチゴ100%を使用しており芳香にとんだお酒です。フランス名はフランボワーズです。

フランボワーズのお菓子の仕上げに使用すると、フランボワーズの甘酸っぱさと繊細な香りを引き立てます。

商品名マークグラフ・ヒンベアーブランデー
容量700ml
100ml(ビン)
アルコール度数45%
原産国ドイツ

マークグラフ・ウィリアムブランデー

原料である洋ナシは、ウィリアム種の洋ナシ100%で作ったデリケートな芳香をもったお酒です。

商品名マークグラフ・ウィリアムブランデー
容量700ml
100ml(ビン)
アルコール度数45%
原産国ドイツ

「幻の酒」と言われる理由

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製造元であるマークグラフェン・ブレンネライ社は、フルーツの名産地として名高いドイツ南部、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の中にあります。

製品のクォリティを保つために比較的少量の生産しかしておりません。

マークグラフ社では、シュヴァルツヴァルトの名に恥じぬよう、自然に実った果実を、さらに厳選しフルーツブランデーの原料として使用しています。

香料や添加物を入れないのは勿論のこと、伝統的な製造方法を昔と変わらず継承し、昔の良き食文化を今も守り続けています。

 

 

 

品質ポリシー

その強い思いは二代目シュトラック氏の言葉に表れています。

「美味い酒を造るには、良い原料を使わなくてはならない。良い原料には限りがある。
毎年常に良い原料が好きなだけ手に入るわけではない」

「私どものマークグラフ・フルーツブランデーが量産品でないことをいつも思い出していただければ幸いです。シュヴァルツヴァルトには大農園はありません。原料は自然に実るものでなければならず、“生産”はできません。シュヴァルツヴァルトのいたるところに果実が散在し、その果実を農民は苦労して摘み取っていくのです。開花、熟成、そして収穫は、毎年毎年、自然の思し召し次第です」

『美味い酒を造るには良い原料を使わなくてはならない。良い原料には限りがある。毎年常に良い原料が好きなだけ手に入るわけではない。』というのが小規模生産にならざるを得ない理由です。

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マークグラフ社のフルーツ・ブランデーは、伝統的な技法と厳選された原料を元に製造しています。

 

マークグラフェン・ブレンネライ社の歩み

マークグラフェン・ブレンネライ社(通称:マークグラフ社)は1924年1月29日、南ドイツのフライブルク近郊、エメンディンゲンのマークグラフェン通り26番地に創立されました。

しかし、第一次世界大戦(1914~1918年)後のドイツそしてヨーロッパでは経済恐慌が続き、マークグラフ社は営業を停止せざるを得なくなり、さらには当時のオーナーは死去してしまいました。

1928年7月11日、ヨーゼフ・シュトラック(Josef Strack)氏が、独立事業家としてこの会社を継承。この時から、シュトラック家によるマークグラフ社の経営が始まりました。

1950年には、ヨーゼフの息子ヘルベルト・シュトラック(Herbert Strack)氏が、まだ学生ながらもマークグラフ社に入社し、若い頃から事業に携わりました。その頃から、マークグラフ社は合名会社でありました。

「マークグラフ」というブランド名は、1940年に第二次世界大戦(1939~1945年)の最中に初めて取得し、その頃から今に至るまですべての商品がマークグラフという名のもとに販売されています。

しかし、1944年12月29日、マークグラフ社は戦争の爆撃に遭い、崩壊してしまいました。

ドイツが戦争に負けたため、国民には何の補償も無く、会社の再建は極めて厳しいものとなりました。宏洋株式会社がマークグラフ社と出会い、フルーツブランデー輸入を始めたのは1970年頭頃のことです。

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そしてシュトラック家初代社長のヨーゼフ・シュトラック氏が1983年12月31日に死去。

その後を継ぎ、二代目ヘルベルト・シュトラック氏が会社の単独オーナーとなり、夫人の多大な協力を得ながら、経営にあたりました。

 

 

ドイツ伝統の製造方法を守り、シュヴァルツヴァルト産の自然原料の中でもさらに品質にこだわり、生産量よりも常に品質を重視してきました。

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10㎞先のにんにく畑のにおいを嗅ぎつけると言われたほど香りに敏感だった彼が造るフルーツブランデーは評判を呼び、有名ホテルやレストランで飲まれるようにまでなりました。

ところが、1996年にはヘルベルト・シュトラック氏が死去。現在はご夫人であるロズヴィータ・シュトラック(Hroswitha Strack)氏が、酒造博士である息子さんの協力を得て、経営を担っています。

 

「マークグラフ」の名前の由来

「マークグラフ」とは、ドイツ語圏の爵位の一つで、「辺境伯」を意味します。当初はカロリング朝フランク王国(751~768年)で国境付近の辺境を守る軍事地区の指揮官に付けられた官職名であり、フランク王国東部のローマ帝国との国境付近に多く配されていました。

異民族に接する辺境にあったので、権限が大きかった爵位です。

マークグラフ社の町、エメンディンゲンが位置するバーデン=ヴュルテンベルク州には、バーデン辺境伯が11世紀から19世紀まで(後に辺境伯領から大公国に昇格し20世紀まで)存在しました。

神聖ローマ帝国(9~10世紀頃~1806年)では、300以上に分裂した教会領、公領、侯領、伯領、帝国自由都市、その他小貴族の領地は半ば独立した政体となり、エメンディンゲンではマークグラフ(辺境伯)が築いた街や文化が色濃く残っています。

町にはマークグラフの名前がついた建物や場所が多く、マークグラフェン学校、マークグラフェンホテル、マークグラフェン通りなど、辺境伯の地域への影響力や、住民たちが伯爵を慕っていたことが伺えます。

そして、マークグラフ社は1924年にこのマークグラフェン通りにマークグラフェン・ブレンネライ(辺境伯蒸留所)として創立されました。

 

辺境伯(マークグラフ)の町エメンディンゲン~黒い森の入り口~

エメンディンゲンはドイツ南西部バーデン=ヴュルテンベルク州内の南西部、フライブルグ近郊にある町で、「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」の入り口と呼ばれています。

この町は、西暦4世紀、民族移動の時代にゲルマン民族によってつくられました。

ドイツは何世紀もの間、公国君主やキリスト教会領によって統治されていました。エメンディンゲンはテネンバッハ修道院に隣接していたため、修道院はこの町に様々な影響を与えました。

この修道院は町の中にテネンバッハ城を所有していましたが、後にバーデン=ハッハベルグ辺境伯に売られ、現在に至るまでマークグラフ城と呼ばれています。

1418年、それまでエメンディンゲンは村でしたが、市場を持つ権利を受け、ジクムント王によって町に昇格されました。

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町の多くの施設はマークグラフを思い出させます。

例えば、マークグラフェン学校、マークグラフェン薬局、マークグラフェンホテル、マークグラフェン城、そして町の古いタウンホールやエメンディンゲンの門です。

「マークグラフェン通り」に、マークグラフ社が1924年に設立されました。

 

 

エメンディンゲンの町は、ゲーテの町とも呼ばれています。ゲーテの唯一の妹コルネリアが住んでいたからです。

コルネリアは町の役人であったシュロッサ―氏と結婚し、彼女の墓はエメンディンゲンの古い墓地にあります。彼女の家は現在でも「シュロッサ―ハウス」と呼ばれ、町によって管理されています。

その他にも、ゲーテ体育館やゲーテ公園、ゲーテ広場などがエメンディンゲンの町にはあります。

この町のまた興味深いところは、世界で初めて飛行の試みが行われたのがここエメンディンゲンで、彼はコルネリア・シュロッサー・ゲーテの墓の隣に埋葬されています。

また、エメンディンゲンはフリッツ・ボールという馬の絵画で有名な画家も輩出しています。

 

シュヴァルツヴァルト(黒い森)

シュヴァルツヴァルトは「黒い森」を意味し、幅200㎞、長さ50㎞にもなる広大な森です。

マークグラフ地図

 

「黒い森」と呼ばれるようになったのは、868年頃の資料に初めて記され、太古から熊やオオカミが出る不吉な森であったため、人々から避けられるようになり、黒い森と呼ばれるようになりました。

ですが今では観光地として人が集まるようになり、トレッキングやスキー、湖での水浴びなど、どのシーズンでも人々が訪れる、大変華やかな場所になっています。

 

 

 

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古くから自然保護区域とされているため、汚染の無い環境下で植物や動物たちが豊かに育ち、食文化が大変豊かな地域でもあります。マークグラフ⑪

そのため、自然の土壌で育ったフルーツは質が良く、フルーツブランデーの名産地としても知られています。ワインのためのブドウ畑も多く、まさに森のそばを流れるライン川の恩恵です。

シュヴァルツヴァルトが目の前に佇むフライブルクを訪れたルイ13世は、その景観を見て「Quel joli jardin!(なんと綺麗な花園だろうか!)」と言ったと伝えられています。

フライブルクはドイツ国内でも特に日射時間が多いと言われ、大変人気のある街でもあります。

 

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その暖かな気候のため花畑も多く、1770年にマリー・アントワネットが結婚のためパリに向かう際に、1000本の美しいガーネットがフライブルの街から贈られたとされています。

 

 

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